●「特定非営利活動法人 アクティブ ミドル 国際協会」のミッション アクティブなミドルの仕事と生活をお互いにサポートするNPOです。 高齢社会の新産業をつくる「起業セミナー」や駐日各国大使、公使を招いて 「国際交流フォーラム」のほか「ヒューマンネットワーキング」「見学会・街歩き」 などを開催し、エイジレス社会を推進する活動を行っています。


●「キューバ・フォーラム」2009年6月24日


駐日キューバ共和国大使館 特命全権大使 ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ氏

◎2009年06月24日 「キューバ・フォーラム」


駐日キューバ共和国大使館 ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ大使

会場内

(動画)
・ダブルクリックします。
*尚、windowsパソコンで見る際は「quicktime」のインストールが必要です。
  こちらよりダウンロードできます(数秒です)



【レポート】
NPOフォーラム (例会No.122)「キューバ・フォーラム」
ゲスト:駐日キューバ共和国大使館 特命全権大使 ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ氏
2009年6月24日

駐日キューバ共和国大使 ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ氏を招いてのフォーラム
が開催された。

キューバは私の勉強不足もあるが、あまり馴染みのない国、今まであまり良いイメージを
感じていなかった。今回のフォーラムでそのイメージが一新した。
大使は今年76歳だが、とてもその歳とは思えない若さを感じた。
初めに、観光担当の女性参事官より、観光地のDVD画像を見ながら説明があった。
風景は海、川とも水が透き通り、自然が美しかった。世界遺産もたくさんあり、
建物は、スペイン風なものにアフリカ色を加えたような印象だ。

次に大使による歴史の紹介。スペインとの独立戦争の後、アメリカの介入により勝利し独立を
果たすが、今度はアメリカの支配が始まる。社会的にも経済的にも不安定な時期を耐え、
1959年に革命政権が誕生し、カストロ首相就任により新体制を樹立。しかし、アメリカと
の不平等条約により、アメリカとの外交断絶、米国以外の国との貿易も、アメリカのライセンス
が入った製品は輸入禁止されるほどの厳しいものだったらしい。加えて諸外国に対して
米国によるキューバのイメージダウン戦略も用いられた。
この話を聞いたとき、日本の幕末の日米和親条約、第2次大戦後の東京裁判が頭に浮かん
できた。しかし、独立を果たしてからは、社会、経済を立て直し、経済成長を維持し続けて
いる。
現在では、186カ国と国交樹立、ラテンアメリカ諸国とも良好な関係を保っている。
国連においても主要な実務を担当している。2006年、フィデル・カストロから弟のラウル・
カストロ・ルスに議長の座が引き継がれたが、基本路線を継承している。
今年になりアメリカが米州機構OASに戻ることの打診を行ったが、キューバ側が拒否。
理由としては、もともとOAS自身がアメリカに都合がよいように作られた機構である、ためだ。

昨年は、燃料、食料などが高騰し、多数のハリケーンで各地に大災害が起こった。にも関わらず、
微増ではあるが経済成長を果たし、防災完備のおかげで被害は少数の死者に留まった。
産業は、ラム酒、ロブスター、葉巻、コーヒー、ニッケル等。それ以外に医療にも力を
入れていて、貧しい国に無償援助で医療チームを派遣している。石油産油国などの裕福
な国にも派遣しているが、その場合は有償。参加者から日本は医師不足なので派遣して
欲しいという意見も出たが、政府間での交渉があまり進んでいないことと言葉の問題
があるため、良い方向には進んでいないそうだ。
1990年代に入り、国際観光業に力を入れ、昨年は225万人が海外から訪れた。
今年、国交80周年の日本からは5千人だった。

大使が言ったことで印象に残ったことに、
「キューバが望むものは、独立、主権。自決権を守りたいだけだ。」
という言葉があった。これはキューバが抱えてきた歴史的経緯を踏まえた真意だと
思う。大使館から大使を含めて4名が来られたが、皆とても素朴で暖かい人柄だった。
治安もとても良いとのこと。画像を見て話を聞き、キューバという国に私が持って
いた悪いイメージが払拭され、今後行ってみたい国の上位になった。
フォーラム後の親睦会も、大使は気さくに遅くまで付き合って頂き、有益な話を聞くこと
ができた。
次回はキューバ大使館の参事官や大使館員との交流会も企画しているので、
是非、皆さん参加してください。
(記 岩永研一)

*終わりに大使から参加者へ抽選でキューバ名産ラム酒がプレゼントされた。
●「禁無断転載」